由緒由緒

國神神社宝物國神神社宝物

國神神社(くにがみじんじゃ)は、福井県坂井市丸岡町にある神社です。

旧社格は県社。継体天皇の子である椀子皇子(まるこのおうじ)を祀っています。

御祭神

椀子皇子

相殿神

振媛命 応神天皇 有馬晴信公

御神紋

八剣輪宝

例祭日

春季4月16日 秋季10月16日

御神徳

事業安全 治水開拓 八方除 商売繁盛 厄除開運

境内社

稲荷神社

國神神社由緒

國神(くにがみ)神社は、男大迹王(おほどのきみ、後の継体天皇)と倭媛(やまとひめ)の皇子である椀子皇子(まるこのおうじ)を御祭神としてお祀りしています。神社は、椀子皇子が武烈天皇8年(506)、磨留古乎加(まるこのおか)〈現在、丸岡城がある丘〉に降誕され、その胞衣(えな)を埋めて神明社としたのが創建と伝え、磨留古乎加は皇子の名前と丸岡の地名の由来となっています。父君男大迹王の意志を継ぎ、湿地帯であった坂中井(さかない)平野の治水開拓を進めたことにより国土開発の守護神として厚く崇められました。

延長5年(927)に制定された延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)には國神神社と記され所謂式内社(しきないしゃ)として人々に崇敬されました。天正4年(1576)、柴田勝豊が磨留古乎加に丸岡城を築くに当たり、神社を現在地に遷座し社領等の寄進があり、その後代々の城主の篤い崇敬の下、社殿の造営、修繕が行われました。丸岡藩主の本多家、有馬家からの奉納品が社宝として保存されています。天保12年(1841)作製の御神鏡には丸岡の總社神明宮と記され、丸岡一円から崇敬されていたことが分かります。

江戸時代までは別当寺である真言宗寶積院(ほうしゃくいん)の管理の下、神明社、神明宮とも呼ばれていましたが、明治維新後に古典により國神神社と称しています。明治3年(1870)、継体天皇の母君振媛命(ふりひめのみこと)と応神天皇を祀る高向(たかむく)神社を高椋村(たかぼこそん)高田より境内地に遷座し、明治19年(1886)には本殿に合祀されました。明治7年(1874)に縣社に列し、明治41年(1908)には神饌幣帛料供進神社に指定されました。

昭和23年(1948)の福井大地震により社殿等総てが倒壊焼失しましたが、昭和37年(1962)に現在の社殿が改築竣功しました。境内社霞城(かじょう)神社の有馬晴信公も改築に合わせて本殿に合祀されました。更には社殿改築二十周年記念事業により昭和57年(1982)に宝物殿が竣功、昭和61年(1986)には玉垣が整備され、平成4年(1992)、御大典記念事業により社務所兼氏子会館が竣功しました。今でも「おしんめさん」とも呼ばれ、春秋の例祭には「まるおかまつり」、「めめんじゃこまつり」として多くの参拝者で賑わうところです。

絹本著色白山参詣曼荼羅図

(けんぽんちょしょくはくさんさんけいまんだらず)

【福井県指定文化財】

九頭竜川畔から平泉寺を経て、白山頂へと至る道行きを描いた貴重な絵画である。

この曼荼羅図の下半に描かれた中世平泉寺の伽藍と、そこに描かれた神々の姿から神仏習合時代の白山信仰が見えてくる。

天国宝剣(あまくにほうけん)

(伝 本多重昭奉納)

鍔は鍍金で柄には四鈷の先に各々爪があり、象嵌入りの鞘にも龍や雲の細工が施されている。大宝年間、若しくは平安時代後期に活躍した大和在住の伝説の刀工「天国」の作とされる。

閻浮檀金千手観音(えんぶだんごんせんじゅかんのん)

(本多家守護観音)

厨子に入った小金銅仏で、黒檀の厨子には蓮華を彫り、戸帳には瓔珞がある。本体は小さいが、その光背の形は、國神神社の神紋と同じ八剣輪宝であり、蓮華模様が施されている。本多家の守護観音として伝えられている。

本多重昭黒印上(ほんだしげあきこくいんじょう)

神明寶積院(ほうしゃくいん)宛

花押はないが、差出名の「飛騨守」の下に、枠内の「重昭」と黒印が捺してある。寶積院は元、豊原寺の院家であり、丸岡城下に移ってから國神神社の別当寺となった。

有馬道純寄進の灯籠

丸岡藩最後の藩主である有馬道純が明治4年(1871)8月に寄進した。「藩知事 有馬従四位藤原道純」とある。